今回は伊豆下田:【70代から始めた日本一周って?】             Part 6 【特急サフィール踊り子号】で行く快適な旅

私の日本一周=後期高齢者の2歩手前から『日本一周』の旅を考えてみた。何度かに分けて『もう一度巡る47都道府県の旅』になるが、そんなかっこいい旅ではない。

(自分の為に記録に残す旅、覚書にリンク)

 【こんな『日本一周』もあってもいいかな・・・・と。】

日本一周 Part 6 静岡県下田市 8/47 
 家内と行く『特急サフィール踊り子号 伊豆での休日3日間』 企画:阪急交通社

 

特急サフィール踊り子号

今までの一人旅と違い、時刻表を気にしないで行くたびは、気楽でとても良い。

家内は今年、左足の膝関節置き換え手術を行った。手術、そして金属を体の中に入れることを、非常に嫌がっていた。が、某病院の整形外科の先生に通っているときに、信頼している先生の膝関節置き換え手術の説明を聞いて、手術をする決断をしたようだ。そんなわけで約3週間、手術、入院をし、退院後、自宅の中を移動するのも杖を使っていた。約1週間もすると自宅での移動は、杖を必要としなくなり、そのうち外出も杖が必要なくなってくるという、すごい回復ぶりだ。もっと早くに勇気を出して手術をしとけばよかったと、本人も・・・・。

んなわけで、久しぶりに旅行に行こうということになり、『お風呂とマッサージで身体を休め、ゆっくりするゆっくりする旅』、『下田東急ホテル』に2泊することにした。

 昼食は、弁当を買って座席で食べたかった家内、でも折角だからとカフェテリアで食事をしようと言った私(悪いね・・・)、スマフォで調べると食事メニューは予約をしなくてはならない。飲み物は良いが、食事は時間もかかるということだと思うが、私はカレーライス、家内はパスタを予約。予約した時間に行くとスムーズに座れるのはとても良い。しかし食事の時間は制約があり約20分、慌ただしく座席に戻ることになる。乗車時間約2時間半なので、1回利用すればそれで充分。

サフィール踊り子号の前で

初日は、駅前をぶらっと散策してから送迎バスでホテルまで。すぐにお風呂に入りに行く。当ホテルは、高台にある見晴らしの良い、露天風呂から見る海もとてもロケーションの良いところにある。

お風呂から出て、自動販売機で缶ビールを買い、用意し来た小さなバックに入れ、いそいそと部屋に戻りおいしいビールに舌鼓をうちながら、フロントにマッサージをお願いした。1時間で確か7,260円だったと思う。夕食は5時半から早い夕食だ。

うっすらと右端に見える二つの島の右手が式根島(客室から見えるサンライズ)

今回は10月に11月6日、7日の旅行を頼んだが、「全国旅行支援」(あとから割)のお知らせが届き、3000円のクーポン券、2日間2名分を頂き、一部旅行費用も戻ってくるようで、お金も使いたくなる。

夕食は、洋食のコースでとても目で楽しめ、久しぶりにナイフとフォークを使い美味しくいただいた。が飲み物のメニュー見てびっくり、お酒がぐいぐい飲めるような金額ではない。(😢)ビールは部屋で飲んできたので、ワインを1杯、それと地産冷酒をひとグラス180㎖、なんと1,800円これは、あまりにも私にとっては高い金額。でもクーポン券をもらっているので、え~い頼んじゃえ~と、頼んでしまった。(翌日市内のスーパーで見た、同じお酒の720㎖が、1,800円、静岡県にお金を落とす意味もあるので、え~い部屋で飲むために買っていこうと、クーポン券を利用して購入した。)

窓からみる南国風なロケーション

マッサージに来ていただいた女性は、Nさんという方で、話がとても面白く、私がマッサージをすると直ぐに眠たくなる話をすると、眠ってしまうとマッサージをしても効き目が出ませんよと食事の美味しいところとか干物を買うならお土産屋さんより、あるスーパーの物が安く,美味しいからと笑わせていただきながらお店もいろいろ教えていただいた。

お蔭で初めて寝ないでマッサージをすることができ、中島さんに感謝の言葉をかけたぐらい。家内も気に入ったのか翌日、Nさんにマッサージを頼んだ。女性二人、話が弾み楽しそうにマッサージを受けていたようだ。私は、テレビを見ながら、ボリボリつまみを食べながらお酒を飲み、たまに二人の会話に首を突っ込んだりとのんびりと過ごすことができた。帰る最終日の朝方、キンメダイを買って自宅に送った話をしてたので、翌朝煮つけのレシピーを書いてわざわざ部屋まで持ってきてくれたのにはビックリ、いろいろとありがとうございました。Nさん。

そんなわけでホテルでの生活は、目的通りゆっくりできたと思っている。下田の観光は過去に公私ともに何度なく来ているが、ゆっくりと見学などした記憶がないので、今回は、欲張らず二日目は、下田水族館、了仙寺そして唐人お吉で知れ渡る宝福寺を見学後、教えて頂いたスーパーに買い物に行くことした。

(写真上でクリックすると拡大されます)

あいにくこの日は雨で、水族館も寒い中、イルカショー、ペンギンショーなどを見て、タクシーを呼んで教えていただいた店に昼食を食べに向かった。海鮮丼にビール、刺身も手伝ってか昼間の飲むビールは最高だった。エイが餌の魚を食べる顔は一目見る価値があるぐらい可愛い

了仙寺は1854年にペリー艦隊のもと日米和親条約が締結され、ペリー一行の応接所となり、米人の休息所となったところ。寺の背後には、海蝕洞窟から縄文時代の人骨、玉類、須恵器土師器が出土した洞窟が見られる。

唐人お吉」が眠っているお墓が宝福寺にある。宝福寺は、土佐藩を脱藩し指名手配中の坂本龍馬は、勝海舟の弟子となり江戸から同乗していた二人の船が時化に合い、下田港に避難、宿をとっていた時同じく、土佐藩の第15代土佐藩主山内容堂は江戸より大鵬丸に上洛途上、ここ宝福寺に投宿していた。勝海舟はここ宝福寺で山内容堂と会い坂本龍馬の脱藩赦免をお願いしたという謁見の間が披露されている。脱藩を許されここから坂本龍馬は、ここから一気に激動の時代を駆け抜けていったという歴史ある宝福寺。

お吉の墓の由来

最後は悲劇の死に方をした唐人お吉は、1856年(安政3年)ハリスが玉泉寺に領事館を置いたころ、将来を誓いあっていた船大工の鶴松がいたが、翌年1857年(安政4年)鶴松との仲を裂かれ、17歳の時、法外な年俸と引き換えにハリスのもとへ侍妾ジショウとして奉公に行かされることになる

お吉の写真も『唐人お吉記念館』に展示されていたが、奇麗な人だった。お吉もいろいろと誠心誠意つくしたようで、ハリスから気に入られていたようだ。ある時ハリスが病床についていころ、ハリスが牛乳は栄養あるので欲していたが、当時の牛乳は人に与えるのを禁止していたようで、お吉は禁を犯し和牛の乳を集めハリスに毎日与えていたそうな。その時ハリスが15日間飲んだ牛乳は、米三俵分に相当したと言われている。当時は牛乳が如何に高価で貴重なものであったがわかる。この牛乳の売買が日本における初めてのことで、伊豆の創業地であった森永乳業は下田に工場を作るなど、森永乳業の歴史はハリスとも関係があったのだ。

下田市のホームページから〕お吉はハリスの世話をしている最中に、腫物ができてしまった為に、暇を出されたようだが三夜だけの奉仕に終わった。解雇後のお吉は、異人と交わったという偏見により、下田で働くことができなくなり、下田を離れ別れた大工の鶴松と同棲を横浜でしたが、3年後には下田に戻り、女髪結いを営むも、周囲の偏見は続き経営も思わしくなく酒に溺れ三島へ、11年後再び下田に戻り、小料理屋をするも酒に溺れる自暴自棄の生活から、破産に追い込まれ、晩年は物乞いをする生活だったようだ。病気を患ったお吉は、ついに角栗の淵へ身を沈めた。引き取り手のなかったお吉の亡骸は宝福寺に葬られたということで、ここに『唐人お吉記念博物館』が設けられた。

しかし、玉泉寺のホームページに『お吉物語の真実』となるものが掲載されている。興味のある方は覗いてみてください。

3日目、最終日は、駅前にあるロープウェイに乗ることにし、フロントで往復チケットを安く購入(駅の自動販売機でも安く購入できる)、10~11月ごろに咲く『リトルエンジェル』なる花を見に行ったが、満開でもなく株数も少なく感じた。もっと株数を増やさないと感激感が出てこないと思った。花を売り物にしているのであれば、もっと増やしといてね。

帰りは普通の踊り子号、構内でお弁当を買って、冷蔵保管をしてもらってお茶を飲んで時間をつぶすことにした。乗る間際に店を覗いたら混んでいたので、事前に買っておいて正解だった。

家内念願の車内座席で弁当を広げ、私は日本酒を飲みながら押し寿司を頬張り、美味しくいただいた。14時半ごろには品川に着き、タクシーで自宅まで。まぁまぁゆっくりできた旅になったかなと一人思っていたが、家内はどうだったか未だに聞いてはいない。

日本一周47県分の8県目、今回は静岡県下田の旅。

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