野火止用水から平林寺を訪ねるみち(9月のウォーク)

9月は台風が次々にやってきて、毎日雨ばかり。東北や北海道に大きな被害が出てお 気の毒でした。ウォーク当日も朝から降っていてあいにくでしたね。それでもゴールまで傘を差さずに歩けました。

%e5%9c%b0%e5%9b%b3-3 %e6%96%b0%e5%ba%a7%e5%b8%82%e3%81%ae%e8%aa%ac%e6%98%8e%e6%9d%bf-1

平林寺は私が高校生の時、デートコースとして井の頭公園と人気を二分してました。 その道の達者な友人から話を聞いて、胸をときめきさせていました。懐かしいなぁ。

野火止用水も埼玉県の整備のお陰と、清流復活で歩かれろ方が多く、特に紅葉のシーズンは平林寺周辺は大混雑します。 今度はご家族で歩
いてみてください。野火止用水は玉川上水竣工後すぐに玉川上水の分水として開削さ
れ、全長24キロをわずか40日間で竣工させたようです。野火止用水は、黒目川と柳瀬
川に挟まれた野火止台地を稲作地帯に変えました。江戸幕府老中で川越藩主の松平信
綱は玉川上水普請の総奉行で、自分の藩にも用水を通らせようとした目論見が始めか
らあったとされています。興味がある方は、杉本苑子さんの著書「玉川兄弟」が面白
いです。信綱の家臣、安松金右衛門が玉川兄弟の良き理解者で素敵な人物に書かれて
います。殿様の信綱と共に平林寺にお墓がありました。杉本苑子さんは吉川英治のた
だ一人の弟子で沢山の歴史小説を書いています。小説ですので本当はどうだったか疑
問ですが、歴史と照らし合わせて歩くと、楽しさが倍増することもあります。

ウオークから脱線ばかりで申し訳ないですが、世界遺産に玉川上水もとの話が以前持ち上
がったことがあります。当時世界一の百万都市を支えたのが水道で、徳川幕府の先見
性は見事です。でも現代のお役人さんは、その用水の上に平気で中央高速の高架を
造ってしまいました。残念ですね。そんなことを考えながら、ブラタモリ風に歩くの
が楽しいです。 (井上 修)

コース終着新座駅に到着後、いつものように皆、元気ないい顔で打ち上げを楽しみました。!!

[huge_it_slider id=”60″]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA