第137回 国分寺崖線「はけ」の道を巡る(きらぼし歩中会 2019年2月のウォーク報告)

[国分寺崖線「はけ」の道を巡る]コース    (図上でクリックすると拡大されます。)

一年のなかでも一番寒い時期の例会です。北風はやや強いものの、快晴の日射しは充分暖かく感じられ、ウォークには適した陽気です。今日も総勢18名のご参加をいただき西国分寺駅を後にします。

まずは駅から5分の姿見の池に寄ります。遊女たちが池を鏡代わりに利用していたことから「姿見の池」と呼ばれるようになりました。鎌倉武士・畠山重忠を慕って、遊女がこの池に身を投げたという恋ヶ窪伝説がが残ります。池は周辺の開発とともに一時期埋め立てられてしまいましたが、JR武蔵野線のトンネル内の湧水を導入して復活しました。鴨の親子がゆっくりと泳ぎ、カワセミの一瞬のシャッターチャンスを待つカメラ愛好者が池畔を狙っていました。

姿見の池

近くには鎌倉街道の痕跡が残ります。「いざ鎌倉へ」と新田義貞も鎌倉を目指したといわれています。また7世紀後半に整備された都と地方の国府を結ぶ官道の東山道武蔵路が幅12メートルの幅で通っていました。道跡が400メートルに渡って保存・整備され、当時の大動脈を実感することができました。




武蔵国分寺公園の中を通って、国分寺崖泉の「はけ」を下り、真姿の池湧水群からお鷹の道を巡ります。真姿の池湧水群は、環境省選定名水百選です。この時期は一年で一番の乾期でもあり湧水量は少ないものの、透明度は百選に選ばれるだけあって見事です。武蔵国の国分寺跡、国分寺尼寺跡を巡り、国分寺市文化財資料展示室を見
学させていただきます。お名前は覚えていませんが、個人の方で(東京都の副知事を務められたと説明されていました)全国の国分寺遺跡から屋根瓦を発掘して国分寺市に寄贈されたと聞きました。世の中には偉い方が居られますね。武蔵国の国分寺は国内60余国に建立されたなかで最大級の規模のようです。奈良時代に日本国を支
配していたの天皇の権力の大きさに驚くばかりです。

当会で過去2回野川沿い歩いていますので、今回はなるべく野川を避けて、はけの下の道を忠実に歩こうと考えました。それでも国分寺、小金井界隈は宅地化が進み、一昔前とは環境は随分と変わって来ました。その都会のなかに、一昔前の静けさを感じることができればウォークの喜びも大きいですね。東京経済大学の構内にある新次郎池は入学試験の真っ最中で、残念ですが校内に入れませんでした。貫井神社の湧水を見て、貫井神社をお参りし湧水を見ます。ここの湧水で昔はプールが開設されていたようで、プールがあったことを説明する立派な碑が残っていました。貫井神社のはけの上にある、大正時代前田家の別荘があった三楽の森公園で昼食にしました。


午後は新小金井街道を横断して「滄浪泉園」に寄ります。衆議員議員などを務めた波多野承五郎氏が大正時代に建てた別荘で回遊式の庭園が見事です。入り口から急峻な崖を下りると、池の数カ所から水が湧き出していて、南側の野川に流れ込んでいます。武蔵野の自然がそのまま残されているのが特徴です。水琴窟があって竹
筒を耳に当て神秘的な音を楽しみます。大きな水瓶が石の下にあって、水滴が落ちる音の広がりが見事でした。はけの道を進み、徳川家の祈祷所である幡随院の前を通り、小金井街道を東側に潜り金蔵院をお参りします。見事なケヤキとムクノキを拝見しました。「はけの森美術館」は館内の模様替えのようで残念ながら休館していました。庭である美術の森緑地は拝見できました。ケヤキなどの樹木や竹林に覆われて広がり、池の石桝には湧水があふれ出ていました。はけの上の出口から「おお坂」を下り、はけの小道を通って野川沿いにある武蔵野公園に出ます。野川の開放的な明るさが、はけの道とは対照的で気分が高揚するようでした。地図より長めの距離になってしまいましたが、武蔵野の美味しい空気を胸一杯吸うことができて、楽しいウオークでした。


30分ほど歩いてJR東小金井駅で散会しました。打上は吉祥寺に出て、伊勢屋に向かいましたが、今回も順番待ちの状態でした。近くの田中屋の串揚げで今日一日を振り返りました。田中屋さんの店長と店員さんの好感度に感心しながら皆様と盛り上がりました。今日は12㎞程歩きました。お疲れ様でした。

                                     (井上 修)

 

 

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