【70代から始めた日本一周って?】 part4-3 東東北の旅=是川縄文館・八食センター(八戸市)・三陸海岸(三鉄の旅)

日本一周 Part4-3⃣ 7月30日(土)

【青森県、岩手県、宮城県  7/47】

北海道&東日本パス(普通列車指定)11,330円 (7日間有効)を利用

 

恐山バス下北JR野辺地 ~青い八戸 バス是川縄文館タクシー八食センターバス八戸JR久慈(本日のコース)

赤字はバス使用、正規のJR・青い森鉄道合計 料金6,090円、275.8km その他バス、タクシー料金5,140円

本日も天気良し、恐山発バス10:05発、

起床は6時、6時半から本堂でお勤めがあります。私のように床に座れない人の為、椅子

宿坊の朝食

国宝「合掌土偶」

も用意されている。朝早くからのお経を聞くものはいいものだ。その後、精進料理の朝食、夕食と同じように食前と食後に『五観のゲ(Part4-2で紹介)の作法があり、『食前の偈』そして食事が終わったら『食後の偈』で「ごちそうさま」。余り好きではない精進料理、しかしこの食事に関係をした方に感謝をしながら頂くと、大変美味しくいただくことが出来た。

出発までまだ3時間もあり、いつもの旅行よりはゆっくりすることができた。

 さあ、これからメインの『是川縄文館』(八戸市)に向かう。このような場所は、バスで行くにはとても不便な場所にある。時間がない場合には、タクシーを利用することはやむおえない。『八食センター』で夕食を摂るため、列車の時刻の関係もあり、是川縄文館でタクシーを呼んで『八食センター』に向かう予定だ。

『是川縄文館』には、八戸駅前か

ら直行のバスで行った。20分ほどで着けるはずだったが、途中車同士の事故に遭遇、バス路線は通行止めの為、遠回り3~40分は遅くなった。

 この後は、思い出の多い(※1)大好きな『八食センター』で夕食を摂ったのち、久慈市まで移動、ホテルに宿泊しなくてはならない。 (※1)新幹線が十数年前には、まだ八戸止まりであったときに、日帰り新幹線往復1万円キャンペーンがあり、それも八食センターまでバス代込みで、毎年販売されていた。毎年2月の仕事のイベントが終わった後に、一人でよく行っていた。ある年は、家内と二人、同僚とそして退職する際に、同僚6人と一泊旅行で行ったり、思い出の多い八戸ツアーだった。)

世界文化遺産『北海道・北東北の縄文遺跡群』  

 世界文化遺産に『北海道・北東北の縄文遺跡群』として登録され、本年7月27日で1周年になる時に『是川縄文館』に来られて良かったと思う。何故二つの地区名が付いているのか疑問であった。

 今から約15,000年前から約4,000年前が縄文時代といわれ、北海道、青森、岩手、秋田県の1道3県で、津軽海峡を挟んで1万年以上にわたり採集、漁労、狩猟により定住した縄文時代の人々の生活と精神文化の交流があったようだ。

   

『是川縄文館』は展示品の豊富さとその展示の仕方に感激、びっくりした。しかし予定の時間も少ないので、後で見てみようと掲示物は写真を撮り、展示品の写真は、何点かは撮ってきたが余り綺麗に撮れてない。(興味のある方は、写真上でクリックすると拡大されますので見てください。)

 

 私が縄文時代以前に拘っているのは、大陸から稲作農耕が入って来てから弥生時代に混血が始まったと考えたからだ。最近のDNAの検査では、現代の日本人(大和人)のDNAと大陸のDNAが全く違うということがわかり、様相は似ているが文明、文化もまるっきり違い独自の人種の形成が出来上がって来たことだと思うようになってきた。16,000年前の原始大和人、旧石器時代、縄文時代の人類がどこから来たのか?一番興味があるところだ。現在関連書物を読んでいるところではあるが、ミステリーを解き明かせるかのように楽しくなって来る。

 

ムラの住民が協力し合って狩猟、漁労、採集によりお互いに知恵を出し合って暮らしてきた縄文時代、土器を通じて四国、沖縄まで東北の土器が発見されていることで、縄文人が土器などを通じ形成されてきているのではないだろうか?そんな訳で日本一周の旅の中に、縄文時代関連地区にも足を運び旅行もしていきたいと考えている。

 縄文時代晩期から弥生時代に大陸から伝わった稲作が、水田を多く必要となり、力のある者が水田の取り合いなどをしてきた。強者が他者の水田を取り上げ拡大して、豪族となり貧富の差を広げてきた。これがミクロの地政学的争いの始まりになってきたのではないか。八戸の古墳時代は、現在より寒かったようで、稲作をする暮らしは難しかったようなので、しばらく稲作は根付かなかったようだ。

八戸は以前からの狩猟、漁労、採集が盛んで、北海道南部と同じような生活が色濃く残ってい

 戸周辺は全国でも縄文時代早期の遺跡が数多く見つかっており、縄文人の移動とともに土器も移動、他の地区から移住し来た縄文人がこの土地で土器を作ったり、交流も活発だったようだ。特に『漆器』は是川中居遺跡の低湿地から、色鮮やかな漆器が多数出土しており、漆塗りの土器、刀、生活用品など漆工芸品の展示品も多い。漆塗りはどこのムラが最初に作り始めたのか?想像を掻き立てられる。

青森県つがる市木造亀ヶ岡から出土した『遮光器土偶』が有名で、木造りの駅舎にでかい『遮光器土偶』のモニュメントが形作られている。

 これら土偶などの形から分析をする美術史家の田中英道先生は、『遮光器土偶』もそうだが、国内からも多数発見されている『ユダヤ人埴輪』、群馬県吾妻町から出土した『ハード型土偶』、世界各地から出土される人の形をした、『異形人』の形を見て分析をする。

 数多い異形人土偶は、近親相姦による異形の人々が進行の対象になっていたのではないかと分析する。千葉県芝山町の芝山古墳・はにわ博物館展示されている多数の『ユダヤ人埴輪』は、つばの広い山高帽子に長く伸びたあごひげ、高い鼻に、髪を左右に分けて束ねた特徴的な髪形。明らかにユダヤ人を想像させる。

 これまでの日本では、渡来人という場合、もっぱら朝鮮半島からやって来た人々の事を指していた。しかし遥かに遠い場所からユダヤ人がやって来ていたとしたら…。(ダイレクト出版「日本人」とは何か、「日本」とは何か・田中英道氏監修より) 美術史家の田中英道先生(東北大学名誉教授)は、フランス・イタリア美術史研究の第一人者でもあり、日本美術史研究についても高い評価を受けている。 田中先生の斬新な説をもっと知りたいと思っている。  

 この後は、予定通り、タクシーを呼んで『八食センター』まで行ってもらった。3,100円円ちょっと痛い(笑)。これから八食センター内には、海鮮市場、酒屋、お土産屋、七厘を借りて海鮮類を焼きながら食事ができる『七厘村』、回転ずし等があり楽しめるところだ。本来なら『七厘村』と『回転ずし』の両方を行きたかったが、時間もなく『回転寿司・八戸市場寿司』だけで我慢した。十数年ぶりだろうか、八戸の握り寿司を楽しんだ。

コメント欄

あじりです

とうほくたびのレポート、楽しみにしてました

新青森のミラー懐かしい

次のレポートも楽しみにしてま〜す

あじりさん

コメントありがとうございます。

ご無沙汰です。新青森のミラー知ってるのですね。

まだ続きがありますが、楽しみにしてください。

また、呑み会を作りますね。今度は新橋か品川になりそうです。

"【70代から始めた日本一周って?】 part4-3 東東北の旅=是川縄文館・八食センター(八戸市)・三陸海岸(三鉄の旅)" に1件のコメント

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